●発心(ほっしん)
     −名刀も磨かなければ鈍刀に−

 光風動春のとき。お正月を無事に迎えるときは、誠にありがたいものです。
風雪に耐えながら先がけてほころぶ梅花のように、私たちも、希望という
一輪の花を咲かせて一年を彩りたいですね。
 あらたまの年のはじめに、みなさんはどんな思いで新年を迎えましたか?
何ごともはじまりが大事。道元禅師も"さあ修行するぞ!"というはじめの
発心(悟りへの求道心)を百千万回も起こそう、とおっしゃっています。
元旦に抱いた今年の希望も、日々忘れずに過ごしたいものです・・・。
 思えば禅語に「吹毛(すいもう)も用い了(おわ)れば、急ぎ磨(ま)すべし」
とあります。フッと吹いた毛を切ってしまうほどの切れ味鋭い剣でも、
使って磨かなければ、あっという間に鈍刀となります。人の心も同じ。
最初の純粋な心をいつも胸に抱くことが出来たのなら、きっと人生の達人に
なれるのでしょう。

   ●柔軟心(にゅうなんしん)
     −鉄の塊も水に浮く?−

 三寒四温のとき。涅槃会のころには、寒風に春の温もりを感じる瞬間(とき)
があります。
 座禅は私たちの心の目を開かせるもの。先入観を捨てて、澄み切った気持ちで
世界を見渡せば、冬の中にも春の息吹を夏の日差しに秋の落ち葉を見出すことが
出来るでしょう。こうした見た目にとらわれない自由自在な心を禅語で「柔軟心」
といいます。
 唐の「?居士語録(ほうこじごろく)に、「鉄船水上浮」(てつせんすいじょうに うかぶ)とあります。昔の人にとって、鉄の塊が水に浮かぶなどあり得ないことで
した。しかし今は大型船か゛河海に浮かび、飛行機が空を飛び交っています。
いつの時代も、人間は先入観や思い込みを打ち破ることで、常識を乗り越えてきた
ことを忘れてはなりません。
 山河大地は、いつも真実いっぱいの姿を現しています。そこから何を学ぶかは、
私たち自身の曇りなき心眼にかかっているのです。

   ●不耐心(ふたいん)
     −空中にくさびを打ち込む?−

 春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)のとき。暑さ寒さも彼岸までと言いますが、
桜前線の北上は列島を新年度に誘います。
 しかしながら春を彩る花々のように、実生活がいつも思いどおりにいくと
は限りません。失敗や挫折をどう乗り越えるか、ある意味でそれが試されて
いるのが人生です。
 「虚空理(こくうり)に楔(くさび)を釘(う)つ」という禅語があります。
空中にクサビを打ち込むのですから、表面的には「無駄な修行」とか、"ぬかに
釘"の意味となります。しかし実はもうひとつ、深い意味が隠されています。
それは目的を達成するために挑み続ける゛「不耐心」の教えです。そこには
「無駄なことに見えても、あえてそこに真剣に取り組み続けることの大切さ」
が込められています。
 人知れず己が納得するまで黙々と打ち込む仕事、そこに物事を成功に導く
不耐心があるのです。