●信心(しんじん)
     −信仰は我が 種まきである−

 鳥語花香(ちょうごかこう)のとき、アスファルトに咲く春紫苑
(はるじおん)にも、自然の生命力のたくましさを感じる季節です。
 ある日、釈迦が、田んぼのあぜ道を歩いていらっしゃった時のこと。
耕作する農夫を見つけた釈尊は、托鉢のために近づいて行きました。
すると農夫は、「あなたも私のように働きなさい」と話しかけます。
しかし釈尊はやさしくこう答えました。
 「私にとってこの世界が田である。信仰が種、修行が恵みの雨、
智慧が農具、戒めが牛の手綱である。私にとって耕作はこのように
なされ、悟りという甘美な果実を収穫するのである・・・。
 この言葉を聞いて、農夫は心から感動し、たちまち釈尊の弟子と
なったということです。
 信じる心は、無限の力を宿している種のようなもの。私たちも心
に種をまき、春の芽吹きのように大切に育てましょう。

   ●道心(どうしん)
     −魚もいつかは 龍となって−

 八十八夜のとき。真新しいスーツ姿の新入社員たちも、着こなし
が馴染んでいますね。そんなときこそ、本来の自分の目指すべき道
をしっかりと見つめたいものです。
 道元禅師によれば、海の中には「龍門」という伝説の門があるそ
うです。波がしきりに打ち寄せるそこには、通り過ぎた魚たちが次
々に龍神となるのです。しかし、そんな伝説の龍門だからといって、
特別に波が違っているのではありません。海水も、どことも同じよ
うに塩からいのです。ただ龍門という尊い門をくぐることによって、
小魚でも偉大な龍神となるのです。
 自分にとって、志に通じる門はどこにでもあるはず。大事なのは
しっかりと己の志を見据えて挑戦し、そこを通過する勇気です。
登竜門の故事はそれを教えています。
 さあ新緑が鮮やかな5月です。希望とともに陽光の道を歩みまし
ょう。

   ●捨心(しゃしん)
     −自分を見失わないために−

 夏雲奇峰(かうんきほう)のとき。梅雨の晴れ間が恋しい季節です。
日差しや雨がすへて平等に注ぐように、仏教もこだわりを捨てて平静
に生きよと教えます。これを「捨心」といいます。捨心は慈悲喜捨
(じひきしゃ)の四無量心(しむりょうしん)のひとつ。生きとし生ける
ものを慈しむ「慈心」と憐れみの「非心」、そして分かち合いの
「喜心」と、こだわりのない平静な「捨心」です。
禅には「忘筌」(ぼうせん)という教えがあります。「筌」とは魚を捕る
カゴのこと。魚<目的>を捕まえたら、カゴ<手段>は忘れなさいとの戒め
です。どんなに大切な道具でも、あくまで大切なのは魚。
 人は一生懸命のあまり、目的と手段をはき違えてしまうものです。
運動が過ぎて健康を害したり、お金のために家族や生活をおろそかに
したり・・・。そんなかたよりやすい心から、捨心は大切なものを取
り戻してくれるのです。