●安心(あんしん)
     −達磨さんの教え−

 秋天一碧(しゅうてんいっぺき)のとき。5日は達磨大師
のご命日「達磨忌」です。
 その昔、はるかインドから中国へやって来た達磨大師は、
慧可(えか)という人物と出会います。慧可はいつも自分が
不安であることを告白します。しかし大師は無言のまま。
たまらず「どうか不安から救ってください】との訴えに、
大師はようやく答えます。
 「わかった。それでは不安という心を持ってきなさい」
 慧可は答えに窮して「形のない心をどうやってお見せし
ましょう」と答えると、大師は諭します。
 「そうか、わかったか! もう私は、君のために安心を
与えたのだよ・・・」
 人は誰でも不安でしかたがないときがあります。しかし
そんな不安の正体も、本当は最初からなかったのかも知れ
ません。達磨大師の安心の教えとは、そんな本来の心を教
えているのです。

   ●平常心(へいじょうしん)
     −水急しくして 月を流さず−

 五色霜林(ごしょくそうりん)のとき。各地の山々が紅葉
に染まるころ、二十一日は太祖螢山禅師の降誕会です。
 螢山禅師が二十七歳のころ、師の義介禅師によって説か
れた「平常心」の教えに深く感銘し、大悟(たいこ)されま
した。平常心とは、日常生活そのままが仏道にかなってい
る心のこと。螢山禅師はその境地を「茶に逢うては茶に喫
し、飯に逢うては飯に喫す」と言い当てたのです。お茶を
いただくときにはありがたくいただく、食事のときには感
謝していただく・・・。悟りをも意味する平常心は、決し
て特別な境地でなく、当たり前を当たり前として俯瞰する
"真実の世界"なのです。
「水急不流月(みずせわしくして つまをながさず)」とい
う禅語を、何気ない喫茶喫飯(きっさきっぱん)であっても、
日常に流されない"真実の姿"としてとらえたとき、急流に
も流されずに輝く一つの月光を見つけるでしょう。

   ●不動心(ふどうしん)
     −光圀の大砲−

 露往霜来(ろおうそうらい)のとき。釈尊の成道会ととも
に、座禅の集い「摂心会」が行われます。ぜひこの機会に、
座禅体験はいかがでしょう。
 黄門さまと親しまれる徳川光圀は、東皐心越(とうこうしん
えつ)を師と仰ぎ、座禅や法談を楽しんでいました。ある日、
光圀は歓談の末に大きな杯を師に勧め、なみなみと酒を注ぎ
ます。
 「いざ召し上がれ」と言われ、師がそれを口にするや否や、
潜んでいた家臣が鉄砲をズドーン!ところが何ごともなかっ
たように、師はきれいに飲み干しました。「さあご返杯」と、
今度は杯が光圀へ。再び酒が注がれると、その瞬間に師が
「渇っ!」。酒をこぼして「何をなさる!」と驚く光圀に、
「鉄砲は武門の常、棒喝は禅門の常」と涼しい顔。試すつ
もりが試されたという不動心のお話でした。
 新年も笑顔と不動心でまいりましょう。
  ぜんざい!ぜんざい!